キヤンテイはどんな所?
トスカーナのキヤンテイと言えば、ああ、あのワインで有名な所、と直ぐ答えられる方が多いと思います。
しかし、キヤンテイがどんな所なのか、ご存知のない方がかなり多いことに最近気付きました。
それで、今日はキヤンテイについて少し書いてみようと思います。
キヤンテイはフィレンツェとシエナの間に広がり、標高平均500mのかなり高い、丸みを帯びた丘が何処までも連なっている地域です。その波打つ田園風景の中に、葡萄畑とオリーブ畑、そして手付かずの森が広がっています。
その田園風景のあちらこちらには、城、屋敷、古い水車小屋、塔、教区教会、農家、そしてワインを造る町が点在しています。
そのワインを造る町として代表的な所が、グレーヴェ、ガイオーレ、ラッダ、そしてカステリ-ナです。それぞれ、グレーヴェ・イン・キヤンテイ、ガイオーレ・イン・キヤンテイと言うふうに言います。これ以外にもワインで知られた小さな6つの町がキヤンテイには広がっているのです。
車でキヤンテイを走ると、シルバーに輝くオリーブの木の畑と綺麗に整列した葡萄畑がコラージュのように何処までも続き、この調和した絵ハガキのような風景が、“世界で1番美しい地域”と呼ばれるわけが良くわかります。
キヤンテイと言えば、日本ではワインで良く知られていますが、実はワインと同じくらいオリーブオイルも生産している地域でもあります。
泥灰土と石灰岩の堆積である砂地が、美味しいワインとオリーブオイルを作るのに最適なのです。
さて、ワインはいつ頃、造られたのでしょうか。
実は紀元前数世紀に、古代ローマ人の前に住んでいたエトルスキア人によって既に造られていたことが発見されています。
キヤンテイのようなワインが生産され始めたのは1404年だと言われています。それから長い年月、この丘陸に造られるワインは大変な名声を得て行き、1716年にはコジモ3世によってこの名が保護され、ある地域に限ってこの名で呼ばれるようになりました。その大きさ、なんと70‘000ヘクタール。
しかし最近は、このワインが大変有名になったことで、他のワイナリー達も、同じ葡萄を使って、同じ方法で、同じようなワインをトスカーナ各地で造るようになりました。そして便宜上、このワイン達もキヤンテイと呼ばれるようになったのです。
今では、昔からキヤンテイを造っていた地域を「キヤンテイ・クラシコ」と呼び、新しく造り出した地域を単に「キヤンテイ」と呼び分けています。
「キヤンテイ・クラシコ」と呼ばれるワインを造るには、キヤンテイ・クラシコの地域で造るだけでは足らず、昔ながらの規制された基準にそって造られたものだけが、キヤンテイ・クラシコと呼ばれます。
例えば、使われる葡萄は75%~100%がサンジョベーゼと言う品種になっています。オリジナルはイタリア中部。
この葡萄はルビー色で、年月と共にざくろ色に変化する傾向があり、スパイスと森の果実の味を持ち、柔らかくエレガントな口当たりのするワインを作り出します。
これに赤葡萄のカナイオーロ(最高10%まで)、そして白葡萄のトレッビアーナとマルバシア(最高6%まで)が使われることがあります。
他に使用可能な葡萄としては、典型的なキヤンテイワインであるコロリーノ、そして国際的なカベルネとメルロです(最高15%まで)。
これ以外にもキヤンテイ・クラシコと呼ばれるワインを造るにはいろんな規制があり、例えば、新しい葡萄の苗を植えたら収穫まで4年間待たなければ行けない、1つの幹から最高3kgまでの葡萄しか育ててはいけない、アルコール度は普通のワインで12度、リセルバでは12.5度は保たないといけない、等。
そして1996年、とうとうキヤンテイ・クラシコは「DOCG」として独立したのです。
「D」Denomination-名称
「O」Origin - 原産地
「C」Cotrolled-統制された、確認された
「G」Guaranteed-保証された
「DOCG」は、「原産地呼称を用いる事を統制しそして保証する」と言う意味です。
最後にもう1つ。
キヤンテイ・クラシコのワインボトルには必ず黒い鶏のマークがついているのをご存知だと思います。これを「ガッロ・ネッロ」と言い、キヤンテイ・クラシコの象徴でもありますが、どうして黒い鶏になったのか。そこには歴史上の理由があるのです。
中世期、フィレンツエとシエナがキヤンテイ地方の領地の獲得の為、長い戦いを続けていましたが、最終的に血を流さない方法で解決しようと思い立ちました。それは、お互いが自分の領地から、最初の鶏が夜明けと共に鳴いた時点で走りだし、途中でお互いが出会った場所までが、それぞれの獲得した領地と決める方法でした。それで走り出す合図となる鶏にシエナは白を選び、フィレンツエは黒を選んだのです。
そして、フィレンツエ側はその黒い鶏を開催日まで小さな箱に閉じ込め、餌もほんのわずかしか与えない作戦に入りました。
さあ、いよいよ領地を目指して走り出す日がやってきました。フィレンツエ側は閉じ込めておいた黒い鶏を夜明けよりづーっと前に始めて箱から引き出しました。今まで閉じ込められていた鶏は急に箱から出されて驚き、夜明けがまだ来ていないのにここで第一声を上げたのです。これを合図にフィレンツエ側は走り出しました。
夜明けを待って鳴き出した白い鶏、を待っていたシエナ側がやっと走り出した時は、既に遅く、ほんの12kmを走った所でフィレンツェ側に出会ってしまったのです。
この日を境に、殆どのキヤンテイ地域はフィレンツェの管理下に支配され、そしてこの黒い鶏が象徴として使われ始めたのです。
画家で建築家でもあったヴァザーリが、フィレンツェのヴェッキオ宮殿にある五百人広場の壁にこの時の黒い鶏を画いています。
どちらにしても、その昔は約200件のワイナリーが作っていたという、いわば毎日の食事に飲むテーブルワインであったキヤンテイのワインですが、ここ数年、量よりも質を目指すワイナリーが増え、ワインインスペクターから賞賛を得るような、世界に通ずる、素晴らしいワインが造られるようになりました。