5週間の癒し休暇
お久しぶりでした。
トスカーナの清美です。
5週間のお休みをして、またトスカーナの青い空の下に戻って参りました。
広く、何処までも広がる柔らかい丘や平野の風景の中に身を置き、私は帰宅後の最初の1週間は気が抜けたようになっておりました。
これはジェットラッグの影響だけではなく、どうも今回の日本滞在は私の心にかなり強いインパクトを与えたようです。
最初の週と最後の週はフランスでしたが、真ん中の3週間を日本で過ごしました。
今回はジョン・クロードはお留守番で、私一人旅でしたので、自分の思うままに動き回り、お会いできる方とお会いし、食べたいものを食べ、成り行きに任せてゆっくりと滞在しました。
特にジョン・クロードに気兼ねなく親戚周りが出来たのはいいことでした。
日本語の出来ない彼を親戚周りに連れて行くのは,彼も嫌でしょうし、私もいちいち通訳する手間が要り、何かと落ち着かないものです。
今回はそれがなく、30年ぶりに会う従姉妹もいたりして、テーブルからあふれんばかりの日本食をご馳走になり、嬉しい歓迎を受けました。
滞在先として部屋を与えてくれた従姉弟も、小さい頃によく一緒に遊んだ仲なので、お互い歳をとってしまいましたが、話していると昔に戻り、ホンワカと懐かしい気持ちがよみがえりました。
でも今、彼には素敵な奥さんと成長した娘達がいます。
おばちゃん(彼のお母さん)は歳をとり、小さく可愛くしぼんでしまいました。
現実はすっかり変わってしまっているのに、でも何かが昔のまま。
それはいくら年月が経っても変わることのない家族愛・親族愛。それを私は今回の滞在でとても強く感じました。
家族愛が強い所はイタリアも良く似ています。
親戚を訪問する以外に、知人の親切なお言葉に甘え、お会いしたり、又宿泊までもさせていただきました。
一緒に夜の紅葉を見に行ったり、温泉に入ったり(裸の付き合いとはこれのこと)、「吉兆」という日本料理店でお食事をしたり、又六本木ヒルズの最上階に登ったりと、いろいろいい思い出になりました。
その為、長野や東京、京都まで列車で旅行をする機会に恵まれ(滞在先は大阪でしたので、新幹線に乗れてワクワクした私です)、又時間がなく自分で行けない方には、山口、名古屋などからも来て頂きました。
幼稚園時から一緒に遊んだ幼馴染には、宇都宮からもわざわざ来てもらい、4日間昔のように、気の向くままに京都を散策することもできました。
何年も離れているのに、行ってみると皆私のことを覚えていてくれて親切にしてくれる。
その優しさにふ~っと身も心もとろけそうでした。
それに酔いしれていたのか、それとも8時間の時間差なのか、フランスに到着してからの1週間以上は、朝目が覚める直前は自分自身が何処にいるのか分からない常態が続きました。
「えっ?今は何処のお家に寝ているんだろう・・?」
「今日は何処へ行こうと計画していたっけ・・・?」
と緊張しながら目を開けることが続いたのです。
これが1週間以上も続きましたので、自分の足が地に付いていないようで、正直こまりました。
自分自身の半分はまだ日本に残り、半分がヨーロッパに帰ってきているような感じ、とでもいいますか。
自分で自分がまとめられなくて、何も手に付かないのです。
都合よく、こちらはクリスマスの祭日で誰も仕事に手が付かない状態の人達ばかりでしたので、私もそれに便乗の形で何もしませんでした。
クリスマスプレゼントを持ってくる友達の訪問や食事の招待だけは嬉しく受けとりましたけど。
まあ、何はともかく、素晴らし休暇でした。
日本では優しい歓迎を受けましたが、トスカーナに帰ってきたら、大家さんちのおばあちゃんや奥さん、友達がぎゅっと強く抱きしめてくれて、無事帰宅を喜んでくれました。ボディーランゲージですね。
そうそう、これです。
唯一、これが日本では出来なくて、私はもどかしく思ったのです。
優しくしていただいたり、何かをいただいたりしたとき、こちらでは頬にキスをしたり、ぎゅっと抱きついたりして「ありがとう」と体で表すのですが、日本では手を握ることさえ習慣ではありませんので、私の喜びを十分に表すことが出来なくてこまりました。
習慣の違いとはいえ、これは本当に私を寂しくさせました。
お忙しいのに、わざわざ私のために出かけてきてくださった方とお別れするとき、ハッグしたい気持ちがいっぱいなのに、それが出来ない。
ありがとう、と言っても感謝の気持ちを言いきれない。
あ~あ、どうやったら私の気持ちを伝えられるのか・・・。
私は自分自身を十分表現できなかったことが残念で、いつも少し落ち込みました。
18度の気温だった日本から0度のパリ空港に到着した私は、パリまで迎えに来てくれていたジョン・クロードと一緒に更にフランスを回ったのですが、何処に行っても良い友達や人々に再会し、私たちの中で眠っていた旅行虫がむくむくと起き上がるのを感じました。
知らない土地へ行き、知らない人達と接する。こんなにスリルな事はありません。
「よし、これから又以前のように、毎年どこかに旅行することにしよう!」
モナコのカジノの前に建っていた電気仕掛けのクリスマスツリーを見ながら、私たちはそう誓ったのです。
話は変わりますが、昨日はインド洋で大きな地震があり、有名観光地も大変な被害を受け、日本人被害者も出たようです。
あんなに素晴らしい休暇先で被害にあうとは、誰が思ったでしょう。
私が今回の日本滞在の時に大変お世話になった方たちも、つい先日タイに行って帰ってこられたのですが、今朝その方からメールが届いており、
「自分達が楽しく過ごしたリゾート地も被害にあっており、今まで出会った中でも一番といえるくらい素敵な笑顔を見せてくれた人達がどうしているかと思うと、胸が痛みます」
と書いていらっしゃいました。
私とジョン・クロードもニューヨークのツインタワーが崩壊した年の1年前の同じ時間帯に、あのタワーのてっぺんに上っていたことがあり、自分の最後の日、というのはいつやって来るのか分からないものだとつくづく思ったものです。
こんなお話があります。
昔々、ある国の王様の所に預言者がやってきて言いました。
「王様、死神が王様を訪問しようとしています。」
それを聞いた王様は、国で一番早く走る馬を用意させ、死神が追いつけない所まで逃げ切ろうと試みました。
王様は何日も夜も寝ずに馬を走らせ続け、とうとう遠い隣国の国境を越えることが出来ました。
ほっ、と初めて馬を下り安堵していると、王様の肩をトントンとたたくものがいます。
ぎょっとして振り向くと、そこには死神がたっており、こう言いました。
「すごいじゃないか、時間通りにやってきたね。俺はお前が間に合わないんじゃないかと心配していたよ」
そうなんです。
だからこそ、毎日の生活を大事にし、そして楽しく過ごしたいものだと思います。
それが今、私たちに出来る唯一のことだし、その為に私達は生きているのだと思います。
2004年もあとわずか。
一緒に2005年を素晴らしい年にしましょう!