幼なじみ
月日の経つのは早いという事をこちらでは「時間は飛ぶ」と言いますが、本当にその通りだと良く感じます。
我が家では日曜日に家の中の観葉植物に水をやるように決めているのですが、 その日曜日が繰り返しやってくることの早いこと。
「あっ、もう日曜日だ!」
「え~~、昨日水をやったばかりのようだけどー・・」
と言うことがしょっちゅうです。
その「時間は飛ぶ」を私はこの数日つくづく感じてしまいました。
実は、私の幼なじみがトスカーナに初めて遊びに来てくれたのです。
彼女とその娘、そして娘の友達2人の4人です。
私の幼なじみは5歳くらいの時に私の隣に引っ越してきて、それ以来いつも一緒に遊び、そして学校に行きました。
二人とも無口な方で、一緒に遊んでいても物音させず、親たちがどこに行ったのだろうと良く様子をうかがいに来たものです。
中学生になったばかりの時に彼女は神戸に引っ越していき、これでもう会えないだろう、と思っていたら、私の方も大阪に引っ越すことになり、又関西で再会となりました。
ちょこちょこと会ってはお買い物やおしゃべりをして楽しい時間を過ごしました。
まだ中学生の時だったのか、それとも高校に入っていたのか、ある夏休みには彼女が私の家にやってきて、一緒に化粧品会社の工場のアルバイトに数週間通ったことがあります。
私の母親が毎日二人分のお弁当を作って持たせてくれました。
私が初めて日本を出てアメリカに行くその少し前には、彼女と同居したこともあります。
初めての一人住まいを彼女と経験したわけです。
私がアメリカに行った後も、彼女は私の母親を訪ねてくれたりしたそうで、本当に家族ぐるみのつきあいでした。
その時に彼女が私の母親に「清美ちゃんは外国住まいが合っていると思う」と言ったことを後で母親の手紙から知りました。
私でさえ分からなかったことを、彼女は察していたのでしょうか。
私の幼なじみには、私がスイスに住んでいるときから「遊びにおいでよ」と何度も言っていたのですが、二人の娘の進学の為お金に余裕がないのよ、と言う理由でとうとうスイスには来てくれず、その内、彼女は胃を全部摘出という大きな病気をしてしまいました。
私が海外に住んでいるというのに遊びに来ないまま病気になっちゃって・・・、ととても悔しく思っていたのですが、なんと彼女は驚くほど元気を取り戻し、去年の末は私と一緒に京都に数日滞在までしてくれました。
食事こそ細いのですが、それ以外は本当に病気をしたの?と疑うほど元気です。
そして今年はいよいよ私の住んでいるトスカーナに旅行に来てくれることになったのです。
彼女は勿論喜んでいましたが、その知らせを聞いた私の方も口では言えないほどの大きな喜びでした。
行くからと連絡をもらってからは、毎日待ち遠しい日を過ごしました。
これも見せてあげたい、ここにもつれていってあげたいといろいろアイデアがわき、私の方が旅行に行く時のようにわくわくしていました。
そして、いよいよ先週の5月末、彼女を乗せた飛行機がピサ空港に到着しました。
成田空港では7時間待ちというハプニングもあったようですが、無事到着出口を出てきた彼女を見たときはほっとしました。
彼女たちはアパート住まいをしてみたいと希望するので、私はトスカーナの郊外の真っ直中に立っているホリデーハウスを手配しました。
ホリデーハウスは去年オープンしたばかりの新しいもので、アパートには生活するのに必要なもの全てがそろっています。
内装もトスカーナ風で、4人がアパートに入ったとたん、「きゃーーーー!!」と喜びの声が発せられました。
そして次に「可愛い―――!!」の声。
10アパートのそれぞれが違った内装で飾られ、アパートには番号ではなくグリムの童話の名前が付けられています。
彼女たちが宿泊したアパートは「ブリキの兵隊」。
他には「赤ずきんちゃん」「白雪姫」「シンデレラ」「アリスの世界」など・・・。
最初の夜は私も彼女たちと一緒にホリデーハウスに宿泊しました。
見慣れないものの説明をしようと思ったのです。
食器洗い機も日本ではまだ新しいようで、その使い方とか。
トイレにある「ビデ」も日本人は「何だろうー?」と不思議に思うようです。
おしりを洗ったり、足を洗ったり、洗濯をする人もいるようですが、幼なじみ達が思ったような男性が用を足す便器ではありません。
彼女たちがやってきたときに、ちょうどイタリア全国の温度が上昇し、暑い日になるのかしらと少し心配しましたが、適当に風があるいいお天気に毎日恵まれて、 最高の旅行日和となりました。
蛍も沢山出ている時で、我が家の前の谷で是非見てもらおうと夕食は家でピッツアを食べ、そそくさと谷まで下りて行きました。
蛍が見られる時間まで家で飼っている羊などを見ていたのですが、こちらは今9時半を過ぎないと日が落ちません。
10時を過ぎてもまだ西の空が明るくて、蛍の群衆を見るにはかなり待たないといけないのです。
すっかり暗くなるまで、谷に郊外の家を持っているセルジョ夫婦のところでコーヒーをごちそうになりながらおしゃべりです。
この夫婦は本当に気のいい人達で、親切のためなら自分たちの持っているものは全て投げ出してしまうほどです。
そうこうしているうちに暗くなり、いよいよ蛍が見え始めました。
最初は1灯、2灯。
ふわふわと飛ぶものですから、うまくすれば手の中に納めることが出来ます。
そうして遊んでいる内にすっかり谷は暗闇に包まれ、そして見えてきたのです、蛍の群衆が。
「うわ―――!!」と言う声があちこちで上がります。
「本当にクリスマスツリーの飾りのようー!」
「こんなに沢山いるなんて想像も出来なかったわ!」
「日本だったらいろんな放送局から人が飛んでくるね!」
「蛍の異常発生、って放送されるよ!」
と、驚きと感嘆の声が続きます。
私はここの蛍のことは 何度か日記に 書きましたが、やはり実際に目で見てみないとその数の多さ、その神秘さは想像ができないようです。
これを私の幼なじみ達に見て欲しかったのです。
その願いが叶って私は本当に幸せでした。
彼女たちは革製品の買い物をしまくり、フィレンツエでは手作りのサンダルも作ってもらい、その間に観光をし、郊外のアパート生活も満喫して、そのインテンシブな5日間はあっという間に過ぎ去って行きました。
昨日来て、今日はもう帰って行った。そんな感じです。
本当にあっという間でした。
こんな風に毎日もあっという間に過ぎていきます。
人生のミステリーです。
エンジョイするしかありません。