Kiyomi D.

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冬の到来

novembre

イタリアで私が一番好きなものは何かと訊かれると、エスプレッソコーヒー(カフェ)を煎れている時だと答えます。
朝一番のカフェを煎れているとき、11時頃のカフェのとき、昼食の後のカフェを煎れるとき、ちょっと疲れた午後4時頃のカフェを煎れるとき。
モッカと言う家庭で使うエスプレッソ用のコーヒーメーカーでエスプレッソカフェを煎れると家中がカフェの香りで一杯になります。
20数年前に初めてイタリアのサルディニア島に3年住んだときも家々からカフェのいい匂いが漂ってきて、ああ、これがイタリアの匂いだ、と思ったものです。
イタリアはこのカフェの匂いで目覚めます。

今年は冬の到来が早いようです。
イタリア各地では既に雪が降り、フィレンツェも短時間ですが昨日はうっすらと雪化粧で白くなりました。
又激しい雨が降っている地域も多く、フィレンツェとピサを通っているアルノ川の水域が上昇し、過去に何度も起こっている川の氾濫が又あるのではないかと人々は恐れていたそうです。
その雨も昨日から少しずつ弱まり今日は青空が見えています。

さて、気温が少々下がっても私の家では寒さをあまり感じない冬に今年はなりそうです。
なぜかといいますと、私の家にも「蒸気暖房」が入ったからなのです。
私の家の近く(8kmの所)に地熱発電所があり、温泉の熱湯、蒸気を利用して電気を作っているのですが(トスカーナ全体の25%の電気)、その蒸気を近くの町にも引いて暖房として使う計画が3年ほど前から始められました。
小さな石造りの町ではあちこちの道路が開けられ蒸気を通すチューブが埋め込まれました。
送られてくる蒸気はなんと400度もあるそうで、それを家に引く前にいったん100度くらいまで下げる冷却室も必要です。

2年ほど前から蒸気暖房が入った家の人達は「暑くって、家の半分の暖房スイッチを切っているくらいよ」と言っており、それを聞く度に寒がりやの私はうらやましく思っていました。
ところがやっと去年、私の町にも蒸気が通ることになったのです。
蒸気は発電所から8km周辺までしか届かないそうで、私の町は丁度その中に入れたのです。
自分の町の道路がどんどん開けられるのを見ながら未来の暖かい部屋を想像して心が躍っていた私ですが、な~んと町から更に1km離れた郊外にある私の家には残念ながらチューブが届きませんでした。
がっかりしました。

私が住んでいるのは一軒家で、1階に大家さん家族、2階に私たちが住んでいます。
そして大家さんたちも私たちもみんな寒がりです。
私たちの家は今までオイル暖房で、オイルを大きなコンテイナーに入れ、それがなくなればトラックで給油に来て貰っていました。
ご存知のようにオイルはとても高価ですから(特に今は)1日中それで暖房を取るなんてバカ高くて出来ません。
それで私の家では朝6時~11時までと夕方7時~11時までと制限して暖房を入れていました。
これは1日中家にいてPCで仕事をしている私たちにはちょっと辛いことでした。
暖房が入っていない時間帯のときは電気暖房機を使い、セーターを2枚重ね着して厚めのソックスも2枚履いて、なんてやっていましたが、それでもなんとなく寒さが身に染みました。

リビングルームには暖炉がありましたから寒いときは勿論火を焚きましたが、そこからいったん離れてPCの前に行くとやはり薄ら寒いのです。
こういうときはスイスの暖かい家が懐かしくなったものです。
スイスはそれこそ1年の内9ヶ月は冬(私的には)ですから家は暖かく造られているのです。
ところがです!
地熱発電所のエンジニアである大家のダンテの健闘で、とうとうこの10月から私の家でも蒸気暖房が使えるようになったのです。
特に寒がりやの私の目を見ながらダンテは「絶対に10月から蒸気が通るようにするから・・・」と約束してくれました。
いつものように工事は何となく遅れ気味でしたが、めでたく10月中旬から蒸気暖房が仕えるようになりました。
ええ、それはもう本当に暖かいです!

今まで部屋で着ていた分厚いカーディガンはまったく必要なし。
暖かい部屋着もいりません。
ソックスもじゃま。
ティーシャツと薄手のズボンで十分。
部屋の温度26度前後。
キャホ~~~!
これです、これ。
こんな暖かい家を待っていたのです。
こんなに嬉しいことはありません。
家の家族(大家さん達と私達)はみんな大喜びです。
寒かった冬のことはすっかり忘れてしまいました。

novembre

novembre

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