馬のトレッキング
この頃レストランに行くと店先に秋の味覚ポルチーニ茸が置いてあったり、トリフュを食べさせてくれるところもあったりで、ああ、いよいよ秋なのかと夏の過ぎ去りと秋の到来の速さに少し戸惑い気味です。
と言いながらも、我が家ではまだサンダル履きで採り立てのトマトやバジリコを使って料理をしているのですから、夏は完全に終わったわけではないさ、とキッチンに立ちながら顔のほころぶ私です。
今年の9月は、ちょっと忙しくしていた私です。
実は私、乗馬を習っていました。
えっ!と思われたでしょう?
実は日本でご自分の馬を持っていらっしゃって、トスカーナに行ったならば是非その自然の中で乗馬をやりたいと希望された女性から、乗馬の出来るところを紹介していただけないでしょうかとご連絡があったのです。
でも、どうして私が乗馬を習わなければいけなかったのか?
先ず 乗馬(トレッキング)をするにはそれをさせてくれる牧場を見つけなければいけません。
私の住んでいる町にも牧場があるのですが、そこでは息子が結婚する為9月は忙しくしているので駄目だと言われ、それではやっぱりネットで検索でしょう、と早速探してみました。
便利な時代です。
そして見つけたのが、この辺りで一番高い丘にそびえる3000年の歴史のある街ヴォルテッラから6kmほど下った裾野にあるアグリツーリズモも経営している牧場でした。
それこそトスカーナの自然の真っ直中にあるこの牧場は鳥と風の音しか聞こえない静かな場所にありました。
近づいていくと先ず牧場があり、5~6頭の馬が静かに動いていました。
親子の馬もいて、童謡の通りいつも一緒に動いています。
ここには全部で10頭の馬と1頭のポニーがいるとか。
アグリツーリズモのベルを押すと物静かな奥さんと可愛い男の子が笑顔で迎えてくれました。
牧場を訪れた事情を話すと早速案内をしてくれ、トレッキングには1時間~3時間程度のものや、又1日~3日続けるものまであると説明してくれました。
やった!トレッキングを楽しんで頂ける牧場が見つかった。
でも英語もイタリア語も話されない68歳になられる女性をお一人で行かせるわけにはいきません。
私も一緒にトレッキングに行きたいのだけど、と言うと、なんと乗馬を習っていない私は行けないと言うのです。
随分昔の話しですがオーストラリアなどで数回トレッキングは経験しているけれど、と言ってみても駄目。
乗馬を希望された女性は「やはり一人ではちょっとねー」、とおっしゃるし、う~~~む、と困った私。
そこで、OK、私が乗馬を習おう!と決めたのです。
電話でレッスンの予約を入れ、乗馬の洋服など持っていない私ですから、シャツ、ジーンズ、ウオーキングシューズ、キャップで最初の乗馬に挑戦しました。
先ずは丸く柵をした練習場で歩く練習です。
調教師はお腹の出た私より背の低いトニーノと言う、良い人柄を丸くお団子にしたような男性です。
彼が教えてくれたところによると、馬の調教にはアメリカ式とイギリス式があり、アメリカ式は手綱を片手で持ち、足先は馬の身体から少し広げ気味、背筋は真っ直ぐに伸ばし、微妙な手綱のさばきで馬に指示を与えます。
イギリス式は手綱を両手で持ち、馬の口に当てた手綱はいつも引き気味で、馬の頭が常に真っ直ぐ前を向いているようにします。
簡単に言うと、アメリカ式は映画に出てくるカーボーイのように颯爽と馬を乗り回す形で、イギリス式は馬場で姿美しく歩くように躾るもののようです。
私がレッスンを受けたのはアメリカ式で、手綱は片手で持ち背中を真っ直ぐにするようにと常に注意されました。
手綱は引きすぎず緩めすぎず、が大事。
引きすぎると馬が止まってしまうし、緩めすぎると何かで急に止まらなければいけない場合に手綱が長すぎて馬を止められないと教えられました。
とても大事なことです。
久しぶりに馬に乗ってみるとかなり高いところに座っているのが分かり、それだけで怖い。
手綱や背中、足先に気を付けているとあっという間に1時間のレッスンが終わってしまいました。
次の日、お尻の痛かったこと。
2日目がまたびびりました。
最初は初日と同じ歩くだけの練習でしたが、さあ、今日はトロットをやろうと言うことになりました。
トロットとは、馬が少し駆け足をすることです。
これも自然の中を歩く時に、馬が急に驚いて走り出す可能性があるため覚えておかなければいけないことなのです。
トニーノが見本を見せてくれた時は、それは簡単そうでしたが、いざ自分でやってみるとなかなか難しい事が分かりました。
馬が駆け足をする時、乗っている人は馬のリズムに合わせて身体を上下にアップダウンしなければいけません。
そうしないとお尻がバンバンバンと鞍を打ち、自分が痛いだけではなく馬と共にうまく走れないのですが、それがうまく出来ません。
やっと馬のリズムに合わせられたかな、と思うとスピードを上げて走り出し、それを止めるのに必死になる等、なかなかうまくいかないのです。
やっと何とか様になるようになったかなと思った時にはレッスンの1時間が過ぎていました。
そう言うレッスンを1週間に2回、合計4回受けました。
最後の仕上げでは少し大きめの練習場に出て、前に障害物を置き、そこをジグザグに歩く練習をさせられました。
これは手綱で馬に指示をきちんと与えられるかどうかの練習ですが、トニーノから親指を上げてのOKサインを貰い合格です。
さあ、準備万端(本当は未だ少し怖い)!
いよいよトレッキングの日です。
心配した雨も上がり、早朝は薄く霧の出たトスカーナの風景がそれは美しいものでした。
霧が晴れるに従って太陽が輝き初め、トレッキングには最適な日。
トレッキングを希望された女性のHさんは馬に1週間ほど会わなかったため、牧場の馬を見た途端に目がキラキラ。
牧場のみんなが驚いたほど彼女は68歳には見えません。
トニーノなどは彼女のことを「ほんの子供だ!」なんて何度も言っていました。
トニーノを先頭に、2番目Hさん、3番目私、そして最後に牧場主のアンジェロの順でいよいよトレッキングに出発です。
未熟な私がトレッキングの足を引っ張らないだろうか、と少し心配しましたが、そんな心配は直ぐに吹っ飛んでしまいました。
広大な自然の美しさに心を奪われ、更にトニーノとアンジェロが絶えず話しかけてきておしゃべりに花が咲いたので、馬に乗っているという緊張感が全く沸きませんでした。
トレッキングは誠にワンダフルに進んでいきました。
砂利の坂道を下ったり、森の中の小さな小川を渡ったり、鳥の声が聞こえる自然の中をゆっくりのんびり進んでいきます。
片手で手綱を持ちながら進んで行くのは正にアメリカ映画のカウボーイになった気分です。
大きな青空には真っ白な雲がぽかりぽかりと浮かび、太陽の光が私たちの上に降り注ぎます。
う~~~む、気持ちがいい!
馬のレッスンに4回通った甲斐があった。
それにしてもカメラを忘れたのが悔やまれる。
そんな時、急に雄大なトスカーナの丘陵が目の前に広がりました。
息をのむほど、と言う言葉がありますが正にその通り。
この時の美しさは私の文章力では書き尽くせません。
夢のような、でも夢ではなく現実にそこにあると言うことが素晴らしくて。
こんなに美しい自然の中に私は住んでいるのかと、馬の上で飛び跳ねたいくらい幸せでした。
Hさんも初めての自然の中のトレッキングに大変興奮していらっしゃる様子で、この企画が成功して良かった、良かったと改めてホッとした私です。