マッサ・マルテイマ
あまり旅行者には知られていませんが,トスカーナのこの辺りを征服していたエトルリア人によって造られた町の一つです。
時々トスカーナ日記にも出てきますが,海際にある町ポプロニアに住んでいたエトルリア人が,6世紀から9世紀にかけて海から攻めてくる海賊達からと,又平地で流行り出した伝染病から町を守る為に内陸に引っ込んで出来た町が,この「マッサ・マルテイマ」だと言われています。そして,この地から住民達は銅や銀を見つけることになるのです。ここに今でも見ることの出来る坑内は、世界で一番古いものだということです。
でも,この町に入って先ず目にする素晴らしい建物はサン・チェルボーネ大聖堂です。この大聖堂は6世紀にアフリカ沿岸から海賊の襲撃から逃れる為にやってきたサン・チェルボーネをたたえて12世紀に建築が始められました。彼はポプロニアの創立者でも知られています。その彼の生涯が大聖堂の上に5枚のパネルとなって飾られています。この大聖堂はロマネスクスタイルが中心のピサ建築様式で造られており、イタリアの建築物の中でも高い評価を得ているものです。
もう一つこの町の特徴は,「古い町」と「新しい町」に分かれている事です。もう既に何回か書きましたが,中世時代は町同士の戦争が頻繁に起こり,ここも何回かの戦争の後,シエナに敗れる事になります。下にある町が「古い町」でその周りに200mの壁があり,先ず旅行者はこの壁を通って町に入っていきます。そこから上に向かって急斜面を登って行くと,シエナに敗れた後築かれた「新しい町」が見えてきます。そしてこの「古い町」と「新しい町」の境にも230mの壁が出来ているのです。この門を入ったすぐ横に素晴らしい城壁と党が見られます。これはシエナにある「マンジャの塔」を作った建築家,アンジオーロ・デイ・ヴェンテゥーラによるもので,大きなアーチ型になった威厳のある渡り橋は今でも渡る事が出来ます。そこに融合されたように立っている時計の塔は,1200年に作られましたが,シエナに敗れた1335年に約3分の1の高さに削られてしまったそうです。「新しい町」はそれこそ規則正しく,横,縦真っ直ぐに道を挟んで建物が並んでいますが,建物にはもう飾りなどは見られず,小さな窓が並んだ,「古い町」に比べると質素な町に作られています。
しかし、この町は「芸術,建築,自然」の面で保護されるべきだとして,ユネスコの世界遺産のリストに載るように提案されているようです。