Kiyomi D.

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バンニョ ヴィニョーニ

2002年ももう1ヶ月が過ぎ2月になりました。
冬と言うのは、動物、昆虫、植物等、自然のものが殆ど冬眠している時期です。
私は、いよいよ年が明け2002年になったことだし早速頑張ってお仕事をしなければ、と思いつつ1月中なんとも体が思うように動きませんでした。ううん?これは年かな?なんて思っていましたが、実は人間の身体も自然に冬眠状態になっていたのですね。だって、春のお天気が続くと自然に体がふわふわと動いてきます。心もそわそわとしてきます。自然って大した物です。出来る限り自然に逆らわずに生活したいものです。これが出来る人はラッキーな人。

bagno vignoni

と言う事で、こちらトスカーナはなんと素晴らしいお天気が続いている事か。ミラノではいまだにスモッグが大きな問題になっていますが、フィレンツェを除いたトスカーナ地区ではスモッグのかけらさえありません。野原にお花が咲いていないのが不思議に思われるくらい、春のお天気が続いています。こちらの2月はすっきりしたお天気が続く事で知られているようです。

今日はシエナとピエンサの間にある温泉地、BAGNO VIGNONI (バンニョ ヴィニョーニの事を書きましょう。

エトルリア人の頃に既に知られていたこの温泉は間違いなく古代ローマ人に楽しまれていたようです。

この温泉の上にかけられた橋の上に小さなサンタ・カテリーナ教会がありますが、そこにかかっている刻板にこのことが記されています。
北ヨーロッパからイタリアを通りぬけるように作られたフランチジェーナ街道のお陰で、多くの旅行者又はローマへ行く途中のカトリック巡礼者がここを休憩所として利用し、中世の時代にはこの温泉は多くの人達に知られるようになりました。そして利用客が増えると共にヴィニョーニは大変な成長を見せました。
12~13世紀にはここにあるお城と温泉場は貴族テイニョージ家の手に渡り、その後サリンべー家に渡っています。
そして14世紀にはいるとシエナがこの温泉場に目をつけたのです。
1334年にシモーネ・トンデイによる行政長官に宛てたシエナ州のレポートの中で、この保養所のことを「温泉の周りを家と食堂が囲み、中心部には礼拝堂が建っている」と精密に報告されています。

bagno vignoni

温泉は壁で四角く作られており、その中を更に二つに仕切られています。男女がそれぞれ静かに安心して温泉を利用できるように、日本にあるお風呂屋のように女湯、男湯と作ったんですね。

ヴィニョーニの温泉は個人の健康保持の為には勿論、いろんな病気を治す目的にも使われたようで(特に肝臓病には良いそうです)、この為教皇ピオ2世やロレンツオ・イル・マニフィコ達のリゾート地としても多いに利用されました。

私達が行ってみたのはつい先週で、冬のヴィニョーニの温泉地は人が住んでいないのかしらと思われるほど静かでしたが、でも温泉を囲んでいる家や教会、お店達は夏にはきっと可愛らしい顔を覗かせるんじゃないかしらと想像させられました。温泉場から少し離れた所では古代ローマ人がお湯を引いて楽しんだだろうお風呂屋も少しづつ発掘されており、興味深い所です。

Bagno Vignoni

先週の日記で、パリの大観覧車が壊される事を書きましたが、その理由が良くわからないと書いたところ、ご親切にフランスには何度も滞在された事のあるTour de Franceさんがその理由を調べてくださいました。以下です。

「清美さんのおっしゃる大観覧車はルーブル美術館もあるチュイルリー公園( Jardin des Tuileries ) 内に夏のバカンスの間に出現するものです。これはミレニアム記念で新しく99年末に設置、営業を開始したんですが、何せ、観光客の多い場所だけに、月4千万円以上の収入なんだとか。それで気を良くした業者がパリ市との約束の設置期限を過ぎても自主的な撤去に応じなかったため、物議をかもしていましたが、結局、歴史的景観を損なう、として、この1月に、パリ市側が強制的に命じて撤去させたものです。収入の一部をエイズ基金に寄付するから、などと、かなり頑なに頑張ったようですが、やはり、凱旋門からシャンゼリゼ大通りを経て、ルーブル美術館に至る、都市計画的にも計算された歴史ある美しさの前には勝てなかったようです。」

これで理由が良くわかりましたね。Tour de Franceさん、どうもありがとうございました。

bagno vignoni