ヴィンチ村
東京もとても温かく、早い春がやって来たようですが、こちらトスカーナも正に春爛漫の時期です。3月21日は公に春になった日ですが、数日前までミラノ、トリノでは30度近くの温度になり、春よりも初夏という感じでした。それが、昨日から急にイタリア全土の気温が8~9度は下がり、今日は冷たい風が吹いています。今朝は5.6度しかありませんでした。北イタリアでは雪が降りました。こう言う時に気をつけないと、風邪を引きやすいのですよね。
でもお天気は素晴らしく良く、太陽がさんさんと照っています。
外の風景は毎日出るたびに違った顔を持ち、木々は緑が濃くなり、道端や野原はお花で一杯です。菜の花も勿論ありますが、黄色い小さな野菊のような花が、野原全体に咲いているのです。春、春、春・・…。
旅行者も増えてきて、街角ではドイツ語、フランス語、英語などがちらほら聞こえてくるようになりました。今年のイースターは3月の末で、いつもの年より早いのですが、このイースターを境に旅行者がどっとこちらの良いお天気を求めてやって来ます。特にまだまだ寒くて、お天気の悪いドイツやスイス、オランダ、オーストリア人達が沢山やって来ます。
今日はかの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチが生まれた地「ヴィンチ村」をご紹介しましょう。
「ヴィンチ村」と言いましても、現在は町になっており、昔の小さな村の部分は丘の上に残り、回りは新しい家が立ち並んでいます。丁度小さな谷の中にすっぽりと入るようにそのヴィンチ村は立っており、周りはおびただしいほどのオリーブの木が立ち並んでいます。オリーブ畑と言うよりオリーブの林のようで、何処まで行ってもオリーブの木が見られます。
その町の丘の上に、ダ・ヴィンチの美術館や図書館が沢山作られています。
特に中心になっているのが、「ムゼオ レオナルデイアーノ」と言う美術館で、中世にグイデイ家の持ち物だったお城を改造して、大規模なそしてもっともオリジナルなレオナルドの数々の機械や、彼の発明した物のモデルなどが彼の説明書きと共に展示されています。その機械たちも決して小さな見本ではなく、実物大の大きさで、翼、外輪船、車の元祖のようなものが、本当に作動するものとして展示されているのです。
そのほかにも15世紀代の彼の発案や又は完成された機械のデッサン等も沢山見る事ができます。
彼は建築家であり、文筆家であり、芸術家であり、そして音楽家でもあった、本当の天才だったんですね。
一名「船のお城」と呼ばれる美術館を後にして、今度はレオナルド・ダ・ヴィンチが生まれた家を見にいきましょう。
レオナルド・ダ・ヴィンチが生まれた家はヴィンチ村から約二km離れたアンキアーノという所にあります。彼が小さい時は回りに何戸か家が立っていたらしいのですが、今は彼の家がオリーブ林の中にぽつんと一軒立っているだけです。
彼の家は1952年に修復工事がなされ、外壁は15世紀の当時の面影を残しているそうです。ただ家の中には家具など何にもなく、残っているのは入って直ぐの所にある15世紀の暖炉だけです。床は石造りで、かなりでこぼこしています。壁にはレオナルド・ダ・ヴィンチの人生が簡単に書かれた看板が下がり、別の部屋には彼の手書きの発案書や機械の説明書等の色あせた紙が展示されているだけで、かなり質素な家です。でもこの彼の手書きの発案書や機械の説明書を見てびっくりしたのは、彼は文章を左から右に書くのではなく、右から左に書いていったのですね。私は最初は裏表逆に展示されているのかと思いましたが、そうではなく、彼は好んでそう言う風に逆に書いたんだそうです。勿論普通に右から左に書いたものもありますが、殆どは逆に書かれています。うむむ・・これは難しくてなかなか読めません。
レオナルド・ダ・ヴィンチの父親はかなり裕福な家庭の息子だったそうで、百姓の娘との間に出来たのがレオナルド・ダ・ヴィンチだそうです。それで父親は格の違いの為その娘と結婚はせず、レオナルドはしばらくは母親と一緒に過ごしたようですが、その後母親は彼を父親の元に置き、どこかへ去って行ったそうです。
そしてレオナルド・ダ・ヴィンチは父親の元で勉強に励み、にょきにょきと彼の才能を表していったのです