2月中旬のピレネー山脈
パリ・オペラ座
アーモンドの花が殺風景な平野に色をつけて、 木々にも小さな若葉が見られるようになりました。少しずつですが、カルカソンヌにも春が近づいているようです。
数日前の日中気温は、22度まで上がりました。
その1週間前ですが、 雨が降るという予報に反して素晴らしいお天気になった日曜日、私たちはパリへ向かいました。
天気予報によると、カルカソンヌもパリもずっと雨のはずでしたが、急変して快晴。やっぱり私はお天気女だ、とジョン・クロードに自慢する私。
そしてパリ滞在中の4日間は素晴らしいお天気に恵まれました。パリらしい寒さでしたが、寒くてもキリッと晴れている方が、暖かくてどんより曇り空よりも断然いいのです。
パリの日中気温は5度前後だったのでしょうか、外に出ると顔に当たる空気がとても冷たくて、冷蔵庫に入ったようです。
私とジョン・クロードは、ズボンの下にタイツを履き、ダウンコートにマフラー、帽子でがっちり防寒対策をして、 パリの青空を楽しみました。
今回の目的は、オペラ座でバレーを見ることでした。それも、バンジャマン・ミレピエという振付家によるバレーが一番の目的だったのです。
TVで偶然、彼の手がけるバレーのレッスン模様のドキュメンタリーを見て、彼のクリエイティブな姿勢に魅せられた私たちは、2月中旬に彼の振り付けのバレーがパリ・オペラ座見られると知った時は大喜びしました。
バンジャマン・ミレピエはフランス出身で、現在もニューヨークシティバレエ団で主役を務めるバレーダンサーですが、2014年にパリ・オペラ座のバレー芸術監督に就任しました。
彼は、映画「ブラック・スワン」の中で、主役のナタリー・ポートマンにバレーを指導し、彼自身も映画の中でバレーを踊り、その後、二人は結婚しています。
生まれはフランスですが、アメリカのバレー界で育った彼は、新しいアイデアをオペラ座にも持ち込み、それをコンテンポラリーバレーとして彼の才能を大いに披露してくれているわけですが、彼のバレースタイルが気に入らない人も多くいたようです。
私がネットでバンジャマン・ミレピエを検索していたところ、
「彼の外見はフランス人だけど、中身は完全なアメリカ人で絶望した。彼がオペラ座にいる間は、私はオペラ座に足を運ぶことはないでしょうね」
「バンジャマン・ミレピエのような人が芸術監督になってはオペラ座の歴史が壊される。あんな人はアメリカにじっとしていればいいのに」
なんて彼に反する日本人(特に女性)サイトを見つけて、びっくりしたことがあります。
私たちはその逆で、「昔からのバレーレッスンは自衛隊のようで、決められた通りに踊らなければ監督が大声で怒鳴り散らす。生徒たちはブルブルと震えている。それではいけない。バレーは楽しむものだ。自分の感情を表現しながら楽しく踊るものだ」というバンジャマン・ミレピエの考えが気に入ってオペラ座まで行ったのですが。
でも残念なことに、私たちがパリに行く数日前、バンジャマン・ミレピエはオペラ座のバレー芸術監督を辞める発表を出しました。歴史を重んじるオペラ座からの風当たりは、予想以上に強かったのでしょうか。その上、妻であるナタリー・ポートマンが、パリテロ事件の後、パリは嫌いだと言い始めたようで、パンジャマンが来年の仕事を勤め終えれば、また彼らはニューヨークに帰るのかもしれません。残念なこと。
私たちが見に行ったバレーは月曜日の夜7時半から始まりました。その前に夕食を済ませておこうと、調べてみるとオペラ座の右横にレストランがあり、そこではバレー鑑賞客のために、夕方6時から開いているということを知った私たちは予約を入れて行ってきました。
行ってみると、夕食には早い時間だからでしょうか、客は少なく、ゆっくりと食事ができました。驚いたのは、このオペラ座のレストランのシェフが日本人だったことです。こんなところでも日本人が頑張っています。
さらに驚いたのは、食事が終わると、レストランから真っ直ぐにオペラ座へ入れたことです。秘密の入り口、とレストランの人は言っていましたが、レストランで預けたコートもそのまま預かってくれて、身軽にオペラ座へ入って行くことができました。
バレーの切符はジョン・クロードがネットで予約してくれたのですが、席は1階ボックス席の一番前で、目の前がパーっと開けていていい場所でした。下にはたくさんのお客さんたちが見えます。月曜日だったのに満席状態。
満席だと2000人が入るようですが、写真で見るよりもオペラ座の中は小さく見えました。
観客たちの服装は、ごくごく普通です。バレーのガラやニューイヤー公演などでは礼装の人もいるのでしょうが、月曜日です、レストランへ行く時のような服装の人がほとんどでした。寒いパリですから、セーター姿の人もたくさんいました。一人、二人、背中の開いた裾の長いドレスを着ている女性がいましたが、白いブラジャーが見えていたりして、ちょっと残念で、そして浮いていました。
さて、バレーの内容ですが、3人の振付家がそれぞれ3つの話を作っており、最初のバレーは、バレーというよりも会話が多い演劇のようで、幕が降りた途端、「ブー」「ブー」と観客から強いブーイングが起こって、びっくり。フランス人はホント、正直なのですね。
第2幕が私とジョン・クロード待望のバンジャマン・ミレピエ振り付けのバレーです。
ものすごく良くて、感動しました。バレーはクラシックバレーの要素を残しながらもモダンで、そこに、バレーダンサー一人一人の感情がとても良く感じ取られて、優雅で、美しく、最初から最後までうっとりしてしまいました。バレーダンサーたちの体は、私たちの体と作りが違うのではないかと思うほど、しなやかで、軽く、強く、たくましく、惚れ惚れする筋肉(男女共)の持ち主です。
音楽はピアノだけでした。
バレーが終わってダンサーたちが一列に並ぶと、大きな拍手と共に「ブラボー!」の繰り返し。ダンサーたちは何度も、何度も挨拶。そのうちに、バンジャマン・ミレピエも舞台に出てきて、拍手がさらに大きくなりました。なんといっても、彼はやはり人気があります。
さて最後の第3部、今はもういない有名な振付家の古い作品のようですが、ごめんなさい、私は早々に眠くなり、あくびをかみ殺すのに苦労しました。
クラシックバレーのようですが、踊っているバレリーナたちがバネ仕掛けの人形のように見えて、感動が湧いてこないのです。第3部は長く感じました。
いつか機会があれば、またバンジャマン・ミレピエのバレーを観たいなと思います。
レストラン奥にある入り口からオペラ座へ入ってきたところです。もちろん、ここには誰もいません。
左に見える階段を上っていくと、正面入り口の階段の上に出ます。その前に、壁に大きな鏡があったので、ジョン・クロードと二人でパチリ。
正面入り口から入ってくる観客たち。
全て大理石で作られていて豪華です。私はヒートテックのシャツの上に薄い半袖ワンピースを着て、長いカーディガンを上からはおりました。
タイツは2枚重ねて履いています。なにしろ外は0度に近い寒さですから。でも、オペラ座内はちょうどいい温度です。
私たちのボックス席の入り口前に立つジョン・クロード。彼と横にある彫刻の男性が同じように私の方を見ているのが面白い。
オペラ座内部。緞帳のような大きなカーテンは本物ではなく、絵です。カーテンのすぐ前にオーケストラの入る場所がありますが、今回はピアノだけでした。
このボックス席は6人用で、1列、2列、3列とあり、中はかなり広い。コートを掛けるフックもありました。
天井いっぱいにあるシャガールの絵。
シャガールは早くに亡くなった彼の妻の絵をたくさん描いたそうですが、これも彼と愛する妻なのでしょうか。
休憩時間にバーで飲み物を飲む人たち。オペラ座の内装は豪華です。
第3部のバレーの最後。手前に見えるのがピアノ。
見てください、この青空!ノートルダム寺院の右横から撮しました。
ノートルダム寺院から続く橋の上を歩く私。ボーイフレンドデニム(ジョン・クロードのもの)の下にタイツを履き、事故で痛めた足の安全のためにごっつい安定した靴(ルンバージャックのワークブーツ)を履いています。グレーのコートの下にはジャケットスタイルのダウンコートも着て、寒さ全く感じず。
すぐ横でアコーディオンを弾いていた男性。映画「アメリー」のメロディーを弾いていました。パリの街によく似合います。